犬嫌い
行方不明だった妻が帰ってきてから2週間になる。
妻は外見上は行方不明になる前と全く変わりなく元気だ。能天気ですらある。
私はこういう妻の外面上の能天気さがたまらなく嫌いだ。
外見上は何も考えていないようでも、心の中では何を考えているか分らない。
妻は犬が好きだが、そう、妻はまるで犬のようだ。
私は猫が好きだ。猫はいかにも腹に一物を抱えていることを態度で匂わせる。
ひねくれた態度のように見えるが、その腹のうちは一目瞭然である。
だが、犬は違う。外見上は素直な様子を振舞う。その実何を考えている分かりゃしない。
妻にもその犬のような一面を感じるのである。あの能天気さの裏には何かが隠れているに違いない。
そんな私の気持ちを逆なでするように、今日も妻が脳天気な様子で話しかけてきた。
「ねえ、あなた、あのね、知ってる?犬の話なんだけどさ。」
君も犬が好きだねえ。で?
「飼い主と離れ離れになった犬が飼い主のところにたどりつくって話があるじゃない。あれって臭いをたどって帰るんだとばかり思っていたんだけど、違うらしいのよね。犬ってのは生まれつき方向感覚がすごくてね、天然のナビゲーションシステムみたいなものが備わってるらしいのよ。」
ふーん。(だからあんな山奥から帰ってきたのか...)
「でね、それだけじゃないのよ。ただ方向が分るだけじゃどこに飼い主がいるのか分らないじゃない。あのさあ、犬が飼い主に似るってよく言うじゃない。あれどうしてか分る?」
飼い主と一緒に暮らしているうちに、似て来るんじゃないの?
「そういう側面もあるわね。飼い主も犬に似てくるし。でも違うの。犬はね、生まれつき飼い主の心が読めるらしいのよね。飼い主がどんなことを考えているか分るらしいの。一種のテレパシーみたいなものかしら。飼い主の居場所や何をしてるかまで分るんだって。」
へえ。
「だからね。私も分るのよ。あなたの心のうちが。」
い、いったい何が分るんだい?
「今度は殺さないでね。あなたを愛してるんだから。さ、朝ごはんにしましょ。」
そう私に言うと一度は死んだはずの妻は、腐って落ちかけた右手をまだしもましな左手で直しながら、ハミングして朝食の準備に取り掛かるのだった。
私は後手に隠し持っていた斧を、そっと机の下にしまった。まったく、これだから犬は嫌いだ。