キン肉マンで言うならジェロニモだ

五重のリングで名誉の戦死を遂げたためコメントは不可能です

ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ

ヤバイぐらいにロックだった。「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」。オレは普段は映画見ない人なのであるが、憑り依かれたかのように、この映画が見たい!となることがたまにあって、でまあコレも見たくて見たくてしょうがなかったんですよ。だがしかし。悲しいかな単館上映。オレの住む片田舎鳥取では見れるはずもなく。うわー見てえ見てえとうわごとのように呟いていたり、思い余って映画を見るために上京しようかと考えたり。でまあDVD が発売されましたからね、買っちまったわけです。うわーヤベー。ロックだ。コレ、ロックだわ。ストーリーは決して奇抜なモノではないのですけれど。流れるのは陳腐なロックなのだけど。ああ、だけど、ロックだわ、コレ。

ロックは前衛的でなければいけないのか。先進的でなければいけないのか。否。そうは思わない。ロックに重要なのは「型」だ。反逆という型。それは断じて反逆そのものではない。あくまでも反逆という型。型から抜け出すことが反逆の本質なのかもしれない。だが、型から抜け出す-反逆-に背を向けること、それもまた反逆からの反逆であり、形を変えた反逆なのではないか。ロック・ウィル・ネバー・ダイ。革命は永遠に続く。その魂に祝福を。ウォーク・オン。

みたいな分かったような分かんない様な小理屈ではなくてね。ロックです。もう骨の髄まで。よい。ああ、映画館で見たいなあ。でまあ、何事にもすぐに影響されやすいオレのことですから、この燃え滾るロック魂を何かしら形に表せないものかと。とりあえず、ネクタイピンを安全ピンにしてパンクヘッズを気取ってみます。顔に突き刺しても安全、安全ピン。ささやかな反逆。革命は続く。