児童虐待
米国の映画なんか見てると、犯人のほとんどみんな児童虐待うけてんのな。悪いのは児童虐待であって犯人に罪はない、という「罪を憎んで人を憎まず」的ヒューマニズムの顕れなのかもしれないが、どうかと思うね。
「オレ君!何なんだこの書類は!いったいどうやったらこんなミスができると言うんだね!」
「すいません、過去に児童虐待を受けておりまして、そのせいではないかと。」
「え、そうなのか。児童虐待じゃあ仕方ないな。」
ほら、どうなの、コレ。言い訳にもなってないじゃないか。児童虐待はもちろん悪いことなのだが、すべての原因ををそこに帰してしまってはいけないと思うのだ。製作者としては犯罪者の側にも正義を与えて人間味を出しているのかもしれないが、安易にすべての原因を児童虐待に結び付けることは、下手したら「犯罪者=被児童虐待者」みたいな構図を視聴者の側に作り出しかねない。児童虐待は現実の問題なのであり、現実を直視することはもちろん必要だ。ただ、その問題をステレオタイプとすることはかなり問題があるのではないだろうか。
などと、書くことがないからといって、昨日今日見た映画から、無理矢理社会派気取りな文章をひねり出すのはどうかと思うのだ。