キン肉マンで言うならジェロニモだ

五重のリングで名誉の戦死を遂げたためコメントは不可能です

物欲

まあ聞け。オレは今非常に幸せである。なぜなら、もう聴きないだろうと思っていたアーティストの新譜(いや、正確には新譜でなかったりするが)を立て続けに聴くことができたからだ。

まずはDIZZY MIZZ LIZZYの「THE BEST OF DIZZY MIZZ LIZZY + LIVE IN AARHUS '96」

ベストはこの際どうでもいい。重要なのは+LIVE。まさか最後の来日公演になるとは思いもしなかったオレはライブに行かなかった(行けなかった、ではない。)当時の彼らに会うことはできなかったのだ。今でも悔やんでも悔やみきれない。ここで聴けるライブの様子は想像以上でも以下でもなかった。だが、ライブ盤とはいえ彼らのライブを体験できるのが非常に嬉しいのだ。聴くたびにあのときライブに行かなかったことが悔やまれもする。だが、それでいいのだ。そんな悔恨も含めて「思い出」というのだ。

続いてNUCLEAR VALDEZの「IN A MINUTE ALL COULD CHANGE」

2ND アルバム「DREAM ANOTHER DREAM」以降、彼らの消息を絶えて聞くことはなかった。彼らの哀愁に溢れるサウンドを愛する者の一人として、その消息はずっと気がかりではあった。このアルバムが2002年の夏に発売されると聞いたときは狂喜した。が、少しばかり不安になったのも事実だ。果たして彼らは彼らのままなのかと。オレの思い描く彼らとはかけはなれているのではないかと。しばらくしてオレの手元に届いたアルバム。ごくありきたりのロックだった。そこにはあの哀愁のサウンドはなかった。だが、思っていたような失望はありはしなかった。いいじゃないか。自分の思い描くとおりでなくたって。ただ彼らが活動し続けていてくれるだけで。そこには過去から続く希望がある。それでいいじゃないか。

最後にJELLYFISHのFUNCLUB。

たった2枚のフルアルバムしか残していない彼らのアウトテイクやライブ等。4枚組。言ってみれば本編2冊の小説に外伝が4冊存在するようなものだ。貴重とはいえ、ほとんどが既存の曲であり、そこには新鮮な驚きはなく、あくまでも思い出を補完する存在に過ぎない。それでもオレは嬉しいのだ。彼らの遺したものに触れることができることがただただ嬉しいのだ。

...とね、本当に幸せな気分だったもんで、知人に伝えたところ、あんたの幸せって安いね、と言われてしまった。ちょっと悲しい。


CM で「モノより思い出」ってのがありますけど、アレ少し違和感感じるんですよ。「モノ」と「思い出」って比較の対象なのかなあ、と。「思い出」ってのは少なからずモノに依存してると思うんですよ。モノを見たり聴いたり、そうすることで思い出は喚起されるものではないかと。オレは人一倍思い出は大切にしているつもり。なので、モノは捨てない。絶対に捨てない。形として大事にできるのならば遺しておきたい。そう思うのだ。物欲の塊みたいに見えるだろうけどね。