リセット
はっ、私は何をしていたんだ。ここは?
ああ、テレビ局の楽屋か。疲れているのか?私としたことが。
無理もない。あれだけの大仕事をなしとげたんだ。世界を変える大仕事を。
「師匠やりましたね!」
うむ。私はやりとげた。
「見事な成功です、集団催眠!あの場にいた全員に『子犬になる催眠』をかけてしまうなんて。いやあ、妙な気分だったな、子犬になるってのは。自分は子犬じゃないって分かってるのに、とっている行動は子犬そのものだったんだから!」
まあたいしたことではないさ、あの程度。
「カメラマンまで子犬になってしまって師匠自ら撮影しなけりゃいけなかったんですからね。おまけにテレビを見ていた人たちまで子犬にしてしまうなんて!テレビ局にすごいすごいって電話が入りっぱなしですよ。あ、そうそう首相からも電話が入っていたらしいですよ。一緒にいた大統領も驚いていたって。『一歩間違えれば私は一生犬のままだった。もうワイフと一緒にホットドッグも食えなくなるところだったよHAHAHA!』って下手なアメリカンジョークまで飛ばしていたらしいですから。」
そうか、大統領も見ていたわけだな。サミットを行うこの時期に計画を実行して正解だったわけだ。
弟子よ。 お前にも内緒にしていたことなのだ私がかけたのは子犬になる催眠だけではないのだ。
「え?他にも?いったいどんな催眠をかけたんですか?」
そのことを語る前にちょっと聞いてくれ。
弟子よ、『口は災いの元』という言葉はもちろん知ってるな。
「はい、まあ一応。余計なおしゃべりは争いのもと、って意味ですよね。」
弟子よ、お前は一度口から出た言葉で後悔したことはないか?
「ああ、まあよくありますね、そういうこと。」
そうなのだ。世界中の誰もがあの言葉を取り消すことができたなら、と思っているに違いないのだ。
そしてそれだけではない。口はまさに災いの元なのだ!
世界中の紛争はすべて無責任に口から出た言葉からはじまっているのだ。
「はあ、そんなもんですかね。」
そこでだ!私は考えた!
一度口から出た言葉を自分の手に取り戻すことができたなら、と。
そう、リセットすればよいのだ!
そこで私は世界中のみんなに暗示をかけた。
自分の発言をとりけしたいと心から思ったとき、 こう言えばよいのだ。
『やっぱ今のなしね。』
こう言いさえすれば、言葉を聞いた相手は直前の発言を忘れてしまう。
相手だけではない、発した本人もだ。後ろめたさが残っては新たな紛争の火種となるからな。
どうだ、弟子よ、今日の私の仕事はまさにノーベル平和賞モノだったのだよ!
「師匠、師匠、恍惚としてるところ申し訳ないんですが。」
なんだ、人がいい気分になっているところに水を差して。
まあいい、聞こうか。ノーベル平和賞受賞者の心が狭いなんて評判がたってはいけないからな。
「はあ、では。師匠、それは間違ってるんじゃないでしょうか。」
何?どこが間違っているというのだ?
「リセットするという発想は間違っていると思います。過ちを取り消したところで、悔い改める気持ちがなければ人はまた同じ過ちを繰り返します。言葉を取り消すことができたところで、それが何になるでしょう。口が災いを呼ぶとしても、人間は過ちを踏まえて成長していかなければならないのでは。」
むう、弟子の癖に偉そうな。
だが、お前の言うことも確かに一理あるな。
分かった。あの催眠はいつか解除することにしよう。
このことはお前と私だけの秘密にしよう。
今日の私の発言はなかったことにしてくれ。
やっぱ今のなしね。
あっ...。
はっ、私は何をしていたんだ。ここは?
ああ、テレビ局の楽屋か。疲れているのか?私としたことが。
無理もない。あれだけの大仕事をなしとげたんだ。世界を変える大仕事を。
「師匠やりましたね!」
うむ。私はやりとげた。