キン肉マンで言うならジェロニモだ

五重のリングで名誉の戦死を遂げたためコメントは不可能です

大洪水

アルジャーノンに花束を」のドラマをやってた。見るともなく見ていたのだが、やはり。

まず映像化にはそぐわない作品なのだと思う。小説であるがゆえに、主人公の知能が上がっていくサマが非常に上手く表現されているのであるが、その点は映像では表現のしようもないと思うのですよ。主人公が句読点の使い方を覚えて句読点を使用しまくるくだり、あそこなんか読んでるこっちも嬉しくなってくるもの。あれは活字でこそ表現できるものであって、映像ではまずムリ。小説ならば一人称による心理描写により主人公の感情を主人公の視点で共有できるが、映像ではどうしても客観的な視点になってしまう。映像が活字に劣っているとかそういうことではなくて、それぞれの媒体には特有のメリットがあると思うのですよ。

あと、感動作品っぽく仕上げたいのが見え見えなのがどうにもなあ。昨今の感動の名作的扱いがどうにも気に入らなくて。感動するべきところはあるのだけれど、やはりSFのセンス・オブ・ワンダーで語るべき作品であると思うのですよ。最初に感動の名作的扱いをしたのはヒムロックだったのかなあ。最近では宇多田ヒカルとか。僕は天邪鬼なもので、感動をおしつけられると意地でも感動してやるものか、って反応してしまう。そういういかにもって感動は何だか感動の大安売りみたいな気がしてしまう。エンターテイメントに徹している作品の中からふと感動を見出したりしたとき、、何でもない感動でもすごい感動のような気がするんだけどな。感動にもインフレがあるのであり、感動の大洪水はごめんである。