キン肉マンで言うならジェロニモだ

五重のリングで名誉の戦死を遂げたためコメントは不可能です

主役

昔からそうなのであるが、映画やドラマを見るととにかく脇役に目が行くのである。ほとんどすべての物語において主人公に感情移入できないのだ。なので脇役に感情移入するのであるがその習性が高じて、自らの生き方においても脇役でありたいという願望が強いのである。どのような場面においても脇役でありたい。自分の人生においては誰しも主役である。オレは自分の人生においてですら脇役でありたい。

なので嫌でも主役とならざるを得ない場面をみるとゾッとする。たとえば結婚式。アレは見るたびにゾッとする。結婚する本人は嫌でも主役。ああ、でも、主役でないような気もするなあ。むしろ主役は飲んで食って、歌って語る親戚・知人一同なのかもしれないなあ。

まあ、結婚式は自分の意思で回避できるものであるからよしとしよう。結婚しなけりゃいいだけのことだし。問題は誰の人生にも必ず訪れるあの儀式である。

葬式。こればかりは誰にも避けようがない。何せ死んだ後だから、自分の意思ではどうしようもないのである。しかも「ああ、オレさんもいい人だったよなあ。」とまず間違いなく100%善人扱いされるであろう。よく知りもしないのにさ!

これはかなり耐え難い屈辱である。そこで考えました!主役にならない方法を!誰かの葬式のついでに葬式を挙げてもらうのだ。おお、ナイスアイディア!ただ、問題は、知人以外にいったい誰が他人と一緒に葬式を挙げることを許可してくれるというのか。やはり葬式ではいやでも主役にならざるを得ないのか。

などと言いながらこのサイトではいやでも主役なのである。誰か別の主役を立てようかと思案中。